あの時の選択
↑マイクラのブロッククッションを発見したタピオカ。登りたいけど、軽いクッションなのでしがみついているみたいな状態に。
もしもあの時違う選択をしていれば、未来は違う結果だったかも・・・と考えてしまう事があります。特に辛い結果や悲しい事が起きた時には。
私は今まで亀、猫、金魚に犬、スッポンを飼育してきました。
スッポンのタピオカを飼育していた頃は亀や猫、犬達は既に事故や病気、寿命で亡くなっていました。
1匹のペットと6年間過ごす経験は初めてだったので、お別れも今までとは違った悲しみを感じています。
何度か経験してきたペットの死。
悲しいのはもちろんですが、どの子とのお別れも似ているようで違いました。
理由が自分のペット、家族のペットというような違いなのか、一緒に過ごした年月の長さなのか、亡くなった理由や状況なのか、はっきりとは分かりません。
どの子も大切なペットなんですが、その時々で死に対する考え、感情は違うみたいです。
今回は亡くなった直後より、その日の夜から翌朝が悲しみのピークで、その後は急に悲しくなったり平常に戻ったり、また急に悲しくなったり、いつもなら気にならない事がやけに悲しく感じたり、という事を何度か繰り返していました。
一番悲しい状態の時は食欲はないし、何をやっても楽しく無いし、周りの景色まで暗く感じました。
翌日は仕事へ行き、別のことを考える時間を持てたからか、だいぶ落ち着きました。
もちろん悲しい気持ちはあるけど、少し時間が経つと普段と同じ感覚に戻り、食欲も戻り、周りが明るく見えて気分も晴れて来て、これが死を受け止めていく過程の心理なのかなと思いました。
二日目も仕事へ行きました。
私が電話で話した内容の一部を聞いた先輩が、話の内容も分からないのに間違った解釈をしてあれこれ叱ってきました。
誤解だしそういう事がよくある先輩なので、普段ならちょっとイライラするくらいで終わりでした。
しかし今回は我慢できず「そういう事じゃないんです!一部を聞いて勝手な解釈をして、あれこれ言われるのがずっと前からストレスだったんです!」とハッキリ言ってしまいました。
なぜか無性に悲しくなり、先輩の前でも少し泣いてしまいました。
その先輩はキツイ言い方をする方で、以前からそうなので方言みたいなもん、と思っていたし面倒見も良く感謝しているので、面と向かって怒ってしまう事は今までありませんでした。
しかし今の私はまだ普段とは違う精神状態なためか我慢できませんでした。
この件は大した事ではなかったのでハッキリ言って良かったんですけどね。
先輩は謝ってくれたし、今まで勝手に我慢してキレたのは私です。
先輩は教えようとして良かれと思って言っていただけなのに。
そこまで言う必要が無かったかも知れませんが、今はダメって感じでした。こんなにキレっぽい自分が居たのかと自己発見しました。
先輩ごめんなさい、タイミングが悪かったんだよ(^_^;)
翌日、情緒不安定だった事も伝えて先輩に謝りました。ハッキリ言ってくれてよかったと先輩は言ってくれました。
以前より職場でのストレスが減ったので良かったです。
悲しい事があった人には些細な事でも嫌な事は言っちゃダメですね💦自分の事ですからよく分かりました。些細な事で異様に怒ってしまったり悲しんでしまったりするのは、こういう状態の時みたいです。
大人の対応ができない人がいたら、何かあって普通の心理状態じゃないのかも?と思った方がいい時もあるかも知れません。
自分の機嫌で相手に八つ当たりするのは良くないと分かっているつもりだったし、そういう人にうんざりしていましたが、イライラしている時、眠い時、空腹の時、忙しい時に理不尽な事をされて我慢できても、私は悲しい時はいつもはできる我慢ができない、些細な事で悲しみを感じるみたいです。
そんな感じで平日を過ごしていました。
タピオカが亡くなったのは、夜に水中ヒーターが故障して水温が高温になったのが原因かと思われます。
なので毎晩、なんでもっと早くに故障に気付けなかったんだろう、水槽に手を入れるタイミングで気付けたら、違う時間帯なら、夜様子を見ていたら、新しい水中ヒーターなら故障しなかったのかな、あの時こうしていれば、など今となってはどうにもならない事をいろいろ考えて泣いていました。
あれこれ後悔していたそんな時、昔プレイしたRPGゲームのストーリーを思い出しました。
主人公は最初、育ての親が示してくれた道を進もうと出発します。
しかし理不尽な扱いを受け、自分の出身地を伝えたためになぜか故郷の村は滅ぼされてしまいます。
自分のせいで、故郷が滅んでしまったと悲しむ主人公。
その後、選択や挑戦、失敗をしながらも仲間達に出会い、町の人々と交流し、協力しながら問題を解決して進んでいきます。
しかし、RPGゲームでは珍しくそのままボスをやっつけて世界が平和にという展開にはなりません。
順調に日常を過ごしていると思っていた主人公と仲間達。
ある時、正しい選択をできず(この時は正しいと思っていた)、世界を滅ぼされてしまいます。
主人公はなんとか生きていましたが、仲間は一人亡くなってしまい、世界は荒れ果て、とても悲しく自責の念と後悔の日々を送ります。
しかし、そんな世界でも人々は復興に向けて協力し、以前ほどでは無くても日々の暮らしを取り戻します。
主人公は正しい選択をできなかったと悔やんだけど、仲間たちと協力して滅んだ世界でなんとか生きた日々がとても大事な経験になった事や、そんな環境だからこそできた事、会えた人がいました。もちろん亡くなってしまった人もいました。
そんな日々を送り今の環境も落ち着いてきました。
そんなある時、やり直したいと何度も望んだ瞬間をやり直せるかも知れないチャンスが訪れます。
しかし、それは今いるこの世界が消滅して、やり直したい瞬間の少し前の過去へ戻るというものでした。
私は悩みました。
ゲームは何度でもやり直しができるから良いとよく言うけど、私にはこの選択がそうとは思えませんでした。
なぜなら、これまで主人公はいくつもの選択をして、この世界だから起きた問題に挑み、出会えた人と協力して築いてきた日々があったからです。あの瞬間をやり直せるくらい過去へ戻って、望んでいた未来に訂正したら、その部分だけは良いかも知れないけど、今までの日々が消滅しても良いのか?今の世界は確かに酷い事もあってたくさんの人が亡くなったけど、その悲しみと苦労を乗り越えて、この世界で懸命に生きている人と動物達がいます。それを無かった事にしてまで、あの時の選択を訂正するべきなのかなと。
主人公と今一緒にいる仲間、環境は少しでも選択が違えばこうはならなかったかも知れない。
過去へ戻ったら、今の仲間たちは消滅して、過去のあの時の状態の仲間たちに会い、また関係を構築する事になる。世界が滅ばずに済むなら良いに決まっているけど、どうにも自分を取り巻く環境や仲間達と大変な世界で過ごした日々が消滅するのが辛かったです。
ゲームの仕様上、主人公は過去へ戻らないとストーリーが進まないので仕方なく戻りました。
そして、やり直したかった瞬間が訪れます。
何度も頭でシミュレーションしていた解決策。
今の私にとってはあの日より前に水中ヒーターを新しいものに交換するか、水中ヒーターを使用しない事です。
主人公はその瞬間を無事訂正し、その時望んだ未来が訪れます。
訂正前の世界で亡くなった仲間は死なずに済み、世界の滅亡は免れます。
望んでいた未来が訪れて幸せのはずでした。
しかし主人公は過去を訂正するために消滅した世界が忘れられません。操作している私も最初に経験した滅んでしまった世界でやっていた行動を取ろうとしていました。
あの時苦楽を共にした仲間達に会いたい、話したい、行動したい、見ておきたいなど些細なものでしたが、どれも大切だったと思いました。
ゲームでは過去へ戻り世界に平和をもたらして本編のストーリーは終了します。
このRPGゲームをプレイする前は、人生やり直しができるなら良いに決まっている!と思っていました。
でも、プレイして選択を'間違えた'とされる方の人生をゲームの世界で歩んでみて、選択を間違えたとしても、その後訪れる日々はこの選択をしたから感じられた幸せがあり、出会えた人がいました。
人生は一度しかないし訂正できない、でもこれで良かったと思える事がたくさんありました。
これらはこの'間違えた'人生でしか経験できないものでした。
訂正してすぐ後の'正しい'人生は確かに一部の悲しみが少なくなったように感じました。
しかし、いつも間違えた人生で出会った人、乗り越えた事、経験した事を求めていました。
過去を求めて未来から戻ってくる事をタイトルにしたゲームでしたが、私が求めていたのは、正しい選択の過去でも未来でもなく、どんなに間違っていてもやり直したくても最初に選択した世界でした。
それくらい大切な経験が最初の人生にはありました。
それに、訂正した'正しい'人生でももちろん辛い別れや後悔はあります。
ふとこのゲームのストーリーと、このゲームで感じた事を思い出して、タピオカとお別れした悲しい気持ちが少し楽になったような気がしました。
ゲームみたいにやり直しができて、タピオカを延命できても、必ずお別れの日は来ます。
ペットも人間も死亡率は100%と分かっていても、その時がくれば悲しいのは当たり前です。
今タピオカとお別れしたから、あたたかいコメントを頂けて見ることができる場があったのかも知れない。
何年後かは更新できなくなっていたかも知れない。
タピオカが病気や怪我で苦しみながら亡くなったかも知れない。
自分がタピオカより先に亡くなり世話できる人が居なくなったかも知れない。
災害に見舞われてタピオカが行方不明になって生死不明になりお別れできなかったかも知れない。
あやまってタピオカを落とした事が原因の怪我で死亡させるかも知れない。
など様々な可能性が考えられました。
どんなに頑張っても、死亡率100%は変えられないので、せめてお別れの仕方を変えれないかと思っても、今度はタピオカと昨日まで楽しく遊んだ時間が無くなるかも知れない。
現実にはあり得ない事ですが、過去に戻ってやり直しする事がどういう事かストーリーに組み込まれたこのRPGゲームは、とても大切な事を教えてくれました。
それは人生どこでどんな選択をしても、その選択を間違ったと思っても、その先の人生は、その選択でしか体験できないものだという事です。
当然人生やり直しができないので、この選択をした人生が全てなんですが、どう頑張ってもタピオカを救えないし、亡くなった事は悲しいけど、いつか来る別れが今だったという事、今だから良かった事もたくさんある(旅行中などタピオカと長期間離れている時に起きた事故ではないためいつ頃亡くなったか分かる、亡くなる前日もリビングをお散歩したり水換えしたりおやつをあげたり、タピオカの世話をできる限りの事を全て行っていた)事、もっと悔いが残るタイミングでお別れする場合もある中、土曜日にたっぷり遊んで、日曜日の時間がある時に亡くなったのは、RPGゲームでの'間違えた’人生でしか経験できないものです。
タピオカが居る日々は幸せで楽しかったです。居なくなった後の日々は寂しいけれど、変わらないものもあります。
タピオカが夜お風呂で泳いでいる間、水換えをして、たまにタピオカの様子を見ながらリビングでテレビを見たりスマホゲームをするのが毎晩の日課でした。
タピオカはお風呂で泳いでいる様子を見られるのが好きではなかった(きっと内密にお風呂の栓抜き作戦を実行したかった)ため、飼い主は席を外す必要があったからです。
今もこの時間帯はリビングでゆっくり過ごす事でタピオカの姿は見えなくてもタピオカが側にいるような気持ちで過ごしています。
タピオカと過ごした日々を思い出しています。
タピオカとの出会いは6年前の1月。
旅行へ行っていた母と弟から、お土産という事でもらいました。
スッポンを飼育するんだ!というしっかりとした覚悟をする前にお迎えする事になってしまい、最初からいろいろ準備に困りました。
家に到着したばかりのタピオカは、道中不安だったためか、すぐに砂に潜って出てこなくなってしまいました。
小亀が砂にこんなに早く潜るなんて知らなかったのでびっくりしました。出てこないけれど大丈夫なのかな?潜り過ぎて困っているんじゃ?など、この時はスッポンの驚異的な身体能力を知らなかったため、心配していました。
水カビ病になってしまった時は、このまま悪化したらどうしようと不安で仕方なかったけれど、イソジン風呂に毎日入っていたら治ったね。
小さな頃は砂の中にずっと潜っていて、たまに首だけ出して呼吸したらすぐに砂に潜ってしまってなかなか姿が見れなかったタピオカ。
こんなに臆病だったけれど、ある時脱走して机から降りて、更には階段まで下って、玄関の下駄箱の下で寝ていた事があったタピオカ。
見つけた時は本当に嬉しかったし安心したけど、今でもどうやって5センチくらいの子どものスッポンがそこまで移動したのか謎です。
その後もしばらくは砂に潜っていたタピオカ。大きくなってきて砂利にしてからは、姿を見せてくれる日が増えたね。
砂利の中でフンをするからなかなか綺麗にならなくて大変だったよ。
フードストッカーから衣装ケースの水槽に引っ越ししてからは、砂利が無くても平気になったね。
寝る時は潜りたいみたいで、よく前足でホリホリしていたね。砂利も夜は入れてあれば良かったね。
いつも綺麗な水ならいいなと思って、90センチ水槽と濾過装置を設置して見たけど、思ったより狭くて濾過装置もタピオカのフンで一発で汚れちゃったね。透明度は凄かったから、中がよく見えて良かったけれどね。
運動不足が心配で、浴槽での水泳を始めたら、ものすごい速さで泳いでいたね。
桶にすくった水を流すと追いかけて噛みついていたね。最初はたまに泳いでいたのが、毎晩になって夏場は朝風呂に入っていたね。
いつの間にかお風呂の栓を抜くようになって、どうやっているのか不思議だったよ。
水が無くなった浴槽の底に乾いた状態で佇んでいた時は不機嫌そうだったね。
初めてリビングのお散歩をした去年は、どうしたらいいか困っていたね。
何回かお散歩したら慣れてきて、登る事に目覚めたね。コタツにスツールに束ねた新聞紙、カゴ。なんでも登ろうと挑戦していたね。必ず登るぜ!って感じで、危ないからやめさせようとしても、何回も挑戦していたね。登り切ったら上でゆっくりするのかと思いきや、すぐに降りちゃうんだよね。ゴールより道中を楽しむタイプなの?
初めての甲羅干しは、部屋干し用のハンガーラックだったね。足を伸ばして甲羅干しのポーズをしていたけれど、タピオカが甲羅干しをする所を初めて見たから、踏み外しちゃったかと心配したよ。
土曜日の午前中はリビングでお散歩したね。
お散歩する部屋は同じだけど、登ると決めるものはいつも違ったね。
この時は座椅子に登っていたね。
タピオカがお散歩するリビングでゆっくり過ごせて良かったよ。
あの時の選択肢以外は存在しないので、タピオカがそばに居る日々があったこと、思い出に感謝して日々過ごして行きたいと思います。
タピオカは自由になったんだ。と思うのが私にとって一番しっくりきました。
これでアルビノスッポンタピオカのブログ最後の更新とします。
今までご覧頂いた皆様、コメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。
↑お風呂で泳ぐタピオカ
↑お昼寝するタピオカ
足が浮いてるのが珍しいと思って撮影